今週は本山周平です。例年だとGW明けから10月まで短パンで過ごしているのですが、今年は朝晩冷える気がします。でも今日くらいからデビューしようかな。
5/16 火曜日 晴れ
今日は写真学校。午前中は暗室実習。フォトグラムからピンホールカメラを体験していよいよプリントのやり方を始める。暗室好きになる学生も実はたくさんいるんだよなぁ。
午後は浅草ロケ。暗室道具を背負ってきたからとりあえずコインロッカー探し。初めてのフィルムカメラの学生さんも多い。写真日和だから今日は上手く撮れると思うけどなぁ。
雷門から仲見世通りを抜けて浅草寺までの道のりは歩けないくらいの人混み。海外の観光客も戻ってきたんだな。
僕はいつも花やしき通りを抜けて千束通りのほうまで横道に入りながら歩く。浅草寺まで引き返してまた隅田川のほうまで歩くとだいたい2時間ちょいくらいって感じのルート。
今日は真夏のような暑さだった。みんなバテてたなぁ。
5/17 水曜日 晴れ
今日は暑いなぁ。午後から写真学校の授業。今日は中野ロケ。月末からはゼミも始まるので水曜日は21:00過ぎまで授業がある。夕方に終わるのは今日までだな。中野は地元だけど歩いていない道たくさんある。
後半はギャラリー街道を開けて貰って展示開催中の本庄佑真さんにお話しを聞く。写真集の編集作業から装丁、印刷まで見てきた写真群なので他人の写真だけど思い入れがある。長年見てきた写真家だし。学生さんにとっても制作のヒントになるといいし、こんな生き方もあると知ってほしいな。
5/18 木曜日 晴れ
昨日に続いて暑い日。二日間で結構歩いたから持病の右足首がちょい痛い。今日は月曜日に撮影したお仕事のデータ作業。月曜日は雨のなかの撮影だったから撮り難かった。作業をしながら思い出す。昼前から始めて夕方まで。
菊地大吾写真集「あの町」の注文があったので発送作業して発送。一月刊行からコンスタントに注文入ってます。
急遽、明日撮影仕事が入ったので機材の準備。あっという間に一日過ぎた。
5/19 金曜日 曇り
学校写真の仕事始めてもう25年以上経つんだなぁ。当時の生活サイクルは完全に夜型人間でよく一睡もせずに撮影に行っていた。月日が経つにつれ早起きの習慣が身体に馴染んで日々朝早くに目覚めてしまうようになってしまった。アスリートに近いような体力仕事だとは知られていないと思う。アスリートの皆さんもとうに引退してしまう歳になってしまったし、なかなか疲れが抜けない。徹夜からの仕事なんて以ての外だな。
天気が怪しいので早朝電車で鶴川まで。でも結局中止だった。まぁ天候に左右される仕事なんで慣れているけど。
5/20 土曜日 雨のち曇り
今日は朝から暗室。僕は気になるカットをまずは8×10inchにプリントする。自宅の暗室だとスペースの問題で16枚まで。年末から春先までの良さそうなカットからプリントしていく。
15:00くらいに7月にふげん社から写真集を刊行する川口翼くんと駅前の喫茶店で会う。三年前の卒業生。仕上がりまであと少し。ダミー本と束見本を見せて貰ったけど最初の写真集がこんな贅沢な作りになるなんて羨ましいね。想像していた内容より遥かに良くていい写真集になりそうな予感。今後もいい写真家として活動していって欲しいな。
家に戻って再び暗室作業。
5/21 日曜日 雨のち曇り
昨日の暗室を片付けたり、写真を整理したりしながら一日ゆっくり過ごす。かなり質素な生活をしているのでちょっと贅沢なモノ食べたり、必要な服買ったりしたい欲望に襲われたけど、結局なにも買わず…。
ギャラリー街道が阿佐ヶ谷にあった頃、ベビーカーに息子を乗せて通りすがりのお婆さんに貰った枇杷の枝をプランターに植えておいたらこの春初めて実をつけた。
國領くんの写真集のあとがきを校閲。他人の文章はどこまで言っていいものか悩む。難しいな。とにかく嘘つかないようにが一番の根っこの部分だと思っているけど。エンタメ性も多少は欲しいしねぇ。國領くんらしいストレートな文章になってた。
5/22 月曜日 晴れのち曇り
タラの芽を頂いたのでプランターに植えてみた。育っておくれー。
明日から週末まで撮影仕事が続くので機材の準備と身体のケア。どっちも万全じゃないと上手くいかない。
小林紀晴さんの自主ギャラリーの記事とタカザワケンジさんの大田通貴さんの記事が好きで楽しみに読んでいる。GRAF Publishersからの次の刊行写真集の國領翔太の本も大田さんの編集の写真集になります。僕の「日本」シリーズもそうだけど。
https://photoandculture-tokyo.com/contents.php?i=2305
当時から蒼穹舎から出されていた本が好きだったし、僕が写真集を作るなら蒼穹舎から出したいと思っていた。本棚にもたくさん蒼穹舎の写真集がある。僕の理想の本の装丁はクロス張りの箔押しで版型も蒼穹舎から出されている写真集の大きさや厚さがピッタリ馴染む気がしていた。
僕のプリントを初めて買ってくれたのも大田さんだった。まだ蒼穹舎が四谷三丁目にあった頃、しばらく大田さんが座っている後ろの壁に僕のプリントが飾ってあったのもとても嬉しかった。そんなこともあって最初の写真集は大田さんに作って欲しかった。
この数年で写真集の編集をやることもあっていろんな写真集を見返したりする。僕は写真編集者になる気はさらさらないので、写真家としての眼で写真集を編んでしまう。どっかでそれでいいと思ってる節もあって、そんな出版レーベルがあってもいいじゃんって思いながら今の活動を続けています。
どのような写真を自分が撮っていて、どのような形でどんな本にしたいか、そして、僕がどのような地点に立っているかを僕だけではなく、周りの人たちにもそう見えていることが、僕にとってはとても大切なこと。